(静岡県松崎町)

まゆの資料館

住所:静岡県賀茂郡松崎町宮内263-2

開館時間/休館日:8:30〜16:30

入場料:大人 630円、小人 320円

案 内:伊豆松崎では、明治初期から大正時代にかけて製糸場が経営されていました。「まゆの資料館」では、繭・糸・織りの色々と並んでそんな歴史を偲ぶことができます。

「松崎(製糸場)繭の歴史」を伝える案内板(内容は下に)

 松崎は古くから早場繭の産地として知られ、この地方における養蚕の起源は、少なくとも二百余年も前から行われていたとある。特に幕末から明治の始めにかけては、横浜の生糸商人が大量買い付けに訪れ、その初繭取引で決められる“伊豆松崎相場”は、欧米にまで知られるほどだった。(初繭取引松崎市場)/明治5年大沢村の名主依田佐二平は、この年我が国初の官営製糸工場として開設された群馬県の富岡製糸場へ、自分の一族から若い女性6名を派遣、製糸技術を進んで習わせた。フランス人ポール・ブリューナーの指導によってつくられたこの工場は当初女工のなり手がなく、尾高淳忠初代所長はまず自分の娘を女工にしてから、全国各地の士族の娘を募集した。この事実をみても、依田佐二平の女子派遣が当時としてはいかに思い切った行為であり、また時代の先見性に富んだものであったかがしのばれよう。/ともあれ明治8年、技術を習得した一行が帰郷するのを待って佐二平は、松崎町字清水に水車を動力とする25人繰り富岡式木製製糸機械を設置、生糸の試作を開始した。さらに明治9年、この工場を大沢村の自邸(依田家)内に移転し、松崎製糸場の名で40人繰り、のちに60人繰りに拡張して、本格的製糸場を営むにいたった。これは静岡県下の民営製糸工場としては第1号であり、明治後半、松崎周辺と県内各地に続々と製糸場が設立される大きなきっかけとなった。/その後、明治末期にかけていくつかの工場が経営に行き詰まり、倒産や廃業が相つぎ、変遷はかなり激しいものがあった。それでも明治44年当時の加茂郡では、松崎製糸場(釜数77個、就業日数280日、就業時間12時間、工員数71人、人夫4人)をはじめとして、岩科村の岩科、三浜村の勝田、南中村の山本、稲生沢村の河内、稲梓村の鈴木、下河津村の正木、同・河津の8製糸場が操業。このほか座繰りの5ヶ所を合わせると、総釜数433個、女工総数442人、総生産量4,787貫、総生産額198,681円に達した。/養蚕を通じて農家の経済をゆたかにし、地域の産業振興をとめざした佐二平は、優良桑苗を無償で配ったり、良質繭の生産者を表彰したり、繭と生糸の品質向上のために全力をそそいだ。/明治31年には、静岡県生糸同業組合長となって活躍。やがて、明治40年アメリカで開催されたセントルイス博覧会では銀牌を、アラスカユーコン太平洋万国博覧会では金牌、イタリア博覧会の際には名誉賞状を受けるなど、数々の栄誉に輝いた。/しかし、繭取引で賑わった松崎も製糸で栄えた大沢の里も、不況時代を反映して次第に衰退の道をたどりはじめ、大正8年佐二平が病に倒れたあげく、同12年9月1日発生した関東大震災によって横浜港の倉庫に保管中の生糸が被災するにおよんで、ついに倒産のやむなきにいたった。

その他の情報:Tel 0558-42-3912 FAX 0558-42-1200  

沼津インターより三島経由で国道136号線を約81km。那賀川宮の前橋すぐ。近くに道の駅「花の三聖苑」がある。


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