(滋賀県浅井町)

お市の里浅井町歴史民俗資料館
−糸姫の館−

住所: 滋賀県東浅井郡浅井町大依528番地(〒526−0272)

開館時間/休館日: 9:00〜17:00/毎週月曜日(祝日の場合は開館、あとに振替休館)・国民の祝日の翌日(土・日の場合は開館、あとに振替休館)・年末年始(12月27日〜1月5日)

入場料: 大人(高校生以上) 300円、 小中学生 150円

案 内: 浅井町の文化スポーツ公園内にあるお市の里(浅井町歴史民俗資料館)は、郷土学習館、糸姫の館、七りん館、鍛冶部屋の4つの施設からなっています。その内、糸姫の館で、浅井町の伝統産業である養蚕関連の歴史を紹介しています。その主なものについて、展示説明からひろって紹介します。
1.特殊生糸:一般の生糸は、繭を長期保存できるよう繭の残水分を40%程度まで乾燥させます。しかし、特殊生糸の場合は糸の白さと光沢をいっそう高めるために残水分を80%程度とするところに特徴があり、昔ながらのダルマ器で糸繰りが行われます(滋賀県東浅井郡特殊生絲協同組合)。浅井町の特殊生糸生産の特色は、戦前から邦楽器糸をはじめ、漁網、テニス・バトミントンのガットなど用途が多岐にわたり、能装束、僧衣、着物、ネクタイなども作られている。現在、太田1戸、鍛冶屋1戸が座繰製糸を行っている。
2.楽器糸:浅井町の野瀬や鍛冶屋、木之本の大音や西山で生産される良質の特殊生糸を原料として木之本で楽器糸が製造されるようになったのは、明治の末頃でした。木之本は、琴・三味線の糸(弦)作りの本場で、全国の80%を生産しています。細い糸を何本も合わせ目方を計りながら太さを整え、撚りをかけていくなど、楽器糸を作るには相当な熟練の技を必要とします。木之本町木之本の丸三ハシモト株式会社では、昔ながらの手法で、琴や三味線に使う質の良い弦糸が生産されています。ここで作られる弦糸は、全国生産高の5〜6割にのぼり、数多くの演奏家に愛用されています。
3.網織紬(浅井町郷野):江戸中期、宝暦年間に始まった網織紬は、漁網の網目を揃え、切断し、ひげ状の糸に結び横糸に織り込んでいく絹織物です。郷野で作られる網織紬は、浅井や日本各地の糸を縦糸に、漁網から作った糸を横糸にして織り上げていきます。現在では、横糸に、浅井町で作られる天蚕糸を使用することもあります。絹糸製の漁網は、現在では使われていないので、わざわざ絹糸製の漁網を作ってもらい、それを切りそろえて糸を作っています。漁網のひげを反物の表面に出すことに大変苦労します(郷野織物組合 TEL:0749−76−0733
4.蚕糸祭:蚕を供養する行事が毎年10月最終水曜日に「蚕糸祭」として、びわ町早崎の竹生島宝厳寺で営まれます。宝厳寺における「蚕糸祭」のはじまりは、戦前とされています。戦前までは、湖北地方のほとんどの農家が養蚕を副業としており、養蚕は米とともに農家経済を支えてきました。養蚕の盛んな土地柄ゆえに、県や農協の養蚕関係者、養蚕農家、製糸家たちのための重要行事として「蚕糸祭」は連綿と受け継がれてきました。行事は、蚕糸協賛会の組合員が内陣に参詣し、弁財天の眷属(おつきのこと)である「養蚕童子」像に献灯し、蚕の安全・繭の豊作を祈ります。宝厳寺境内や竹生島のいたるところに蚕糸協賛会寄贈の灯籠や手すりが見られ、湖北の豊かな経済基盤をきずいた養蚕をまつる風習が盛んだったことがうかがわれます。

 

館内には、成田重兵衛(号:思斎)の紹介もありました。成田思斎は江戸時代末期文化年間に、今の長浜市相撲町に生まれました。湖北地方は昔から養蚕の盛んな所であったので、思斎もこれに従事し、研究を重ね、農家経営の重要な柱になると考え、文化10年(1813年)『蚕養絹篩大成』という本を著しました。この本はその後、明治17年になって、勧農叢書『養蠶絹篩』と解題して再発行されています。

その他の情報: TEL:0749−74−0101


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