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Subject: [silkmail:33] 上毛新聞「世紀をつなぐ」−繭の記憶−(4) <Chikayoshi Kitamura > 2001/10/25

第1部「夢」−7−精神の遺産
高崎市岩鼻町の県立歴史博物館に、官営富岡製糸場と碓氷社の模型がある。富岡製糸場の
模型は百分の一に縮小されているが3m四方ある。碓氷社はその十分の一程度。「どっち
の生産が大きかったと思いますか」。答えは碓氷社。当時、特筆されたのは本県の生糸生
産の主流がずっと江戸時代からの伝統である座繰りであったこと。それは、大きな工場を
つくることなく、座繰りの農家をまとめあげ、品質の高い、大量の生糸の生産システムを
完成させた碓氷社によるところが大きい。同じ事全国では器械製糸が座繰りを逆転し、生
産を伸ばしていったが、器械製糸に負けない碓氷社のシステムのもとには県内にとどまら
ず、1府9県から農家が支部組合を作って集まった。
 往時をしのぶ建物が安中市原市に残っている。……この建物を引き継いだグンサンは業
績の低迷に苦しんでいた。国道18号に面した広い敷地の活用に活路を見いだそうとしてい
た。しかし、計画が進むと建物がネックになった。……そんな事態が急変した。文化庁が
「近代化遺産」調査を全国に先駆けて群馬に委託してきたのだ。……近代建築の権威者を
集めた調査委員会も「これを残さねば群馬は後世に面目がたたない」と声をあげた。……
敷地の東南角に移された旧碓氷社はいま、産声を上げた地「東上磯部」の街並みを見おろ
している。……郷土史研究家の淡路博和さん(66)は言う。「こうしたものはすぐに飯のタ
ネにはならない。でもね、心を膨らませてくれるんだよ」
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第1部「夢」−8−皇后さまのお蚕
初繭を 掻きて手向けむ 長き年 宮居の蚕飼 君は目守りし
皇后陛下御歌集『潮音』に収められた一首。3年前に出版された御歌集には「神戸禮二郎
紅葉山御養蚕所主任をいたみて」と詞書が添えられている。神戸さんは蚕糸高(現安中実
業高)、東京農工大で養蚕を専攻、県産業試験場に長く勤めた。その誠実な人柄が認めら
れ、宮中にある紅葉山御養蚕所の主任となった。それから17年。病に倒れ、79歳で現職の
まま亡くなった。96年5月、ちょうど養蚕が始まる季節だった。
 「宮中御養蚕史」には、皇后さまの養蚕が1871(明治4)年に、いまの境町島村の田島
武平を御世話役に始まった、とある。……神戸さんの後任も本県から選ばれた。県蚕業試
験場長などを務めた佐藤好祐さん(72)(前橋市元総社町)。今年は6月9日に入所、8月
3日に退所。2ヶ月近くを宮中で過ごした。
 今年できた皇后さまの繭は生糸になって、奈良市の正倉院事務所で宝物の復元模造に使
われている。94年から10年計画で進められている作業は、昨年から奈良時代特有の紋様
「綾」の復元にとりかかっている。その糸をひいたのが碓氷製糸農業協同組合(松井田町
新堀)だ。「日本一養蚕、製糸の盛んな地域」と選ばれた。正倉院事務所保存課整理室長
の尾形充彦さん(47)は「古代の技法を忠実に復元しているので、古代の風合いを出すため
にゆっくりした速度で糸にしてもらった」と説明する。
※碓氷製糸はベテラン4人が1週間かけて丁寧に糸にした。乾燥させずに糸を引く「生繰
 り」と呼ばれる昔ながらのやり方、ベテランでなければ難しい作業だ。

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農業生物資源研究所 企画室長
  北村實彬 (Chikayoshi Kitamura)
    Tel(Fax): 0298-38-7410 kitamura@affrc.go.jp
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