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プレスリリース

平成18年1月23日
独立行政法人 農業生物資源研究所
独立行政法人 食品総合研究所






クワは乳液で昆虫から身を守る
- 植物の乳液に農薬・医薬の宝庫としての可能性 -


【要約】

  農業生物資源研究所と食品総合研究所は、古代からカイコの餌として用いられてきたクワの葉が実際はカイコ以外の昆虫に対して強い毒性と耐虫性をもち、それがクワの葉を傷つけたとき葉脈からしみ出てくる白い乳液(図1)に含まれる成分に起因していることを解明しました。クワ乳液を分析した結果、糖代謝の阻害剤として知られる3種の糖類似アルカロイド物質(図2)が多量に含まれることが判明しました。これらの物質はクワを食べない昆虫には強い毒性・成長阻害活性を示しましたが、カイコにはまったく影響がありませんでした。本成果は、クワが乳液成分で昆虫による食害から身を守る一方、カイコがクワの防御機構に巧妙に適応したことを示しており、数千年にわたる養蚕の歴史の中で気付かれなかったクワとカイコの密接な関係の本質に迫る成果です。

  なお、上記の糖類似アルカロイド物質は血糖値低下効果・糖尿病予防効果をもつ物質として知られており、本成果は植物乳液が医薬や農薬として有用な生理活性物質の宝庫である可能性も示しています。今後この成果を契機に世界に何万種類も存在する乳液を出す植物から有用な生理活性物質の探索が進むものと考えられます。

  本研究成果は、米国科学アカデミー紀要(オンライン版、1月第4週出版予定)に掲載されます。

【背景】

  クワを含む数万種にも及ぶ多くの植物が葉の傷口から乳液を出すことが知られていましたが、その成分やその本来の機能についてはあまり研究が進んでいませんでした。最近、農業生物資源研究所ではパパイアやイチジクの乳液に含まれるシステインプロテアーゼというタンパク質分解酵素が昆虫に対して毒性を示し、この酵素が植物を昆虫の食害から守っていることを世界で初めて示しました。

  一方、クワはカイコの良好な餌となるため、昆虫に対して毒性や防御活性があるとは考えられてきませんでしたが、葉が柔らかく栄養価に富むにもかかわらず、野生状態で昆虫に食われていることが比較的少ない植物です。農薬などに非常に敏感で弱いといわれるカイコがなぜほかの昆虫があまり食害しないクワを食べて平気なのか?そんな、初歩的な疑問がこの研究の出発点でした。

  なお、本研究の一部は科学研究費補助金基盤B「植物の乳液・滲出液および局所・微細構造が担う耐虫防御の発現機構に関する研究」の助成を受けて行われたものです。

【成果の内容】

  1. クワの葉はエリサン・ヨトウガなどのガの幼虫に対して毒性があり、食べさせると数日以内に死亡しました(図3)。しかし、クワの葉を細切りにし、水で洗い乳液を洗い落とすとクワの葉は毒性を失い幼虫は良く成長しました。一方、カイコは乳液の除去に関係なく良く成長しました(図3)。

  2. 人工飼料にクワ乳液を添加するとエリサンに対して強い毒性・成長阻害活性を示し、乳液の成分が毒性・成長阻害活性を持つことが判明しました(図4A)。

  3. クワ乳液中にはこれまで、糖の消化や代謝を阻害し血糖値低下効果や糖尿病予防効果も報告されている 1,4-dideoxy-1,4-imino-D-arabinitol (D-AB1)、1-deoxynojirimycin (DNJ) や 1,4-dideoxy-1,4-imino-D-ribitol(図2)などが高濃度で含まれていました。これらの糖類似アルカロイドは一部の個体群や品種で 乳液の1.5-2.5% (乾重あたり8-18% ) に達していました(表1)。この濃度は従来クワの葉・根などの組織全体を分析した値の約100倍に相当する高濃度でした。これらの物質は乳液からイオン交換樹脂カラムを用いて簡単に精製可能でした。

  4. 糖類似アルカロイドの乳液中濃度はクワの野生個体群や品種の間で差があり、沖縄や本州の野生クワや本州の野生グワから育成された栽培品種「ゆきしらず」「市平」など高い値を示しました。これらのクワではD-AB1が主成分であるのに対し、中国の野生クワから育成された品種「しんいちのせ」では濃度が低くDNJのみが存在していました(表1)。

  5. D-AB1 や DNJ などの糖類似アルカロイドはエリサン幼虫に対し毒性・成長阻害活性を示しましたが(図4B、C)、カイコに対しては全く毒性・成長阻害活性を示しませんでした(図4D)。

  6. クワ乳液中には糖類似アルカロイドの他にも高分子性の耐虫因子(毒)が存在していることが示唆されました(図4E)。

  7. 一般の昆虫がクワの葉を食べようとした場合、傷口から出てくる乳液とその中の糖の偽物である糖類似アルカロイドを一緒にとり入れざるをえず(図1)、糖分の消化・吸収・代謝が阻害されるため生育できないと考えられます。一方、長い進化の過程でカイコはこのクワの防御機構を克服し適応したと考えられます。人類になじみ深いカイコとクワの間には非常に複雑な関係が存在していたのです。

【今後の展開】

  これまでの研究から、植物乳液が植物の耐虫性機構を担っていることが明らかになったとともに、農薬・医薬として、あるいは作物の耐虫性育種に利用できる可能性をもった有用な生理活性物質の宝庫であることが示唆されました。植物乳液は有用物質探索の標的を絞りやすく、比較的少数の物質が高濃度で含まれるため、物質の精製が容易です。このため今後世界に何万種類も存在している乳液を出す植物の乳液から、数多くの有用な生理活性物質が発見されるものと期待されます。

<独立行政法人 農業生物資源研究所>

研究代表者:農業生物資源研究所 理事長 石毛光雄
研究推進責任者:農業生物資源研究所 昆虫適応遺伝研究グループ長
竹田 敏 tel:029-838-6158
研究担当者:農業生物資源研究所 昆虫適応遺伝研究グループ 主任研究官
今野浩太郎 tel:029-838-6085
共同研究者:食品総合研究所 分析科学研究部 主任研究官 小野裕嗣
tel:029-838-7148
広報担当者:農業生物資源研究所 企画調整部 情報広報課長 長岡進一
tel:029-838-7004、fax:029-838-7044


【用語説明】

  • 糖類似アルカロイド
      糖分子の環状部分の酸素原子が窒素原子に置き換わった構造をもつ、糖にそっくりな糖の偽物。
      糖代謝に関連する種々の酵素(アミラーゼなど消化酵素)やタンパク質に干渉し、糖代謝を阻害する。ヒトの消化管において糖の分解や吸収を阻害し急速な血糖上昇を抑える働きが知られているため、糖尿病予防効果あるとも考えられている。
      糖類似アルカロイドは比較的珍しい物質で系統の離れた植物に転々と存在する。クワの葉・根などの組織から以前から報告されていたが、これまでの葉など組織全体から溶媒抽出した報告例ではその存在量は少なく乾燥重量の0.1〜0.01%程度と考えられていた。また、市販価格も10mgで数万円と高価なものである。

  • 植物乳液
      植物の葉脈、茎などを傷つけたときに滲み出てくる白い液。
      タンポポ、サツマイモ、ケシ、イチジク、ゴムノキ、パパイア、トウワタ、トウダイグサ・キャッサバなど3万種に及ぶ植物から報告されている。この数は全維管束植物の10%近くに及ぶ。乳液は維管束に沿って存在する特殊化した細長い細胞の中に蓄えられている。
      乳液中にはケシのモルヒネ(鎮痛作用を持つアルカロイド)、トウワタの強心配糖体(心臓毒)など顕著な生理活性を持つ物質やゴム物質、パパイアのパパインなどシステインプロテアーゼ(タンパク質分解酵素、食肉の軟化剤として食品工業で利用されている)やキチナーゼを始めとする種々の酵素やタンパク質が含まれている。
      しかし、大多数の植物で乳液や含まれる物質が植物にとって、どの様な役割を持っているか不明である。乳液の役割として、傷口の保護、老廃物の蓄積、水分輸送、病虫害に対する防御など種々の学説があるが、最近もっとも有力で多くの実験結果によって支持されている学説は昆虫の食害に対する防御であるという学説である。農業生物資源研究所ではパパイア乳液に含まれるパパインがパパイアの耐虫防御において決定的に重要であることを最近明らかにしている。


参考資料

図1.クワの葉の切り口から滲出する乳液(左写真矢印)と滲出した乳液(右写真矢印)を体の大きさに比較して大量に飲みながらクワ葉を食べるエリサン1齢幼虫
(図をクリックすると拡大表示されます)

図2.クワ乳液中に高濃度で存在する3種の糖類似アルカロイド図3.クワ乳液が担うクワ葉の耐虫性
(図をクリックすると拡大表示されます)

図4.クワ乳液および糖類似アルカロイドのエリサンに対する成長阻害効果
(図をクリックすると拡大表示されます)

表1.クワ乳液中の糖類似アルカロイド濃度
(表をクリックすると拡大表示されます)


【掲載論文】

1月23日:
(アメリカ現地時間)

Proceedings of the National Academy of Sciences (http://www.pnas.org/) (米国科学アカデミー紀要(オンライン版))
Kotaro Konno, Hiroshi Ono, Masatoshi Nakamura, Ken Tateishi, Chikara Hirayama, Yasumori Tamura, Makoto Hattori, Akio Koyama, and Katsuyuki Kohno
Mulberry latex rich in antidiabetic sugar-mimic alkaloids forces dieting on caterpillars
PNAS published January 23, 2006, 10.1073/pnas.0506944103 ( Ecology )
http://www.pnas.org/cgi/content/abstract/0506944103v1


【掲載新聞】

1月24日(火):朝日新聞、日本経済新聞、東京新聞、常陽新聞、日刊工業新聞、
日経産業新聞、化学工業日報
1月25日(水): 毎日新聞(夕刊)
1月30日(月): 産経新聞
1月31日(火): 農業共済新聞
2月10日(金): 科学新聞


1月24日朝刊各紙に掲載された「クワの葉殺虫成分」に関する記事をお読みになった皆様に

当該記事に関しまして、桑葉を利用した食品を開発、販売されている方や摂取されている方から、ヒトへの影響はないのか、摂取を続けても大丈夫なのか、といった多くの問いわせを頂いております。また家畜の餌として与えても大丈夫かといった問い合わせも頂いております

今回、私どもがプレスリリースとして発表しました研究報告「クワは乳液で昆虫から身を守る(http://www.naro.affrc.go.jp/archive/nias/pressrelease/2006/20060123.html)」は、桑葉乳液成分がカイコ幼虫以外の昆虫に及ぼす影響を調べた結果であり、ヒトに対する影響・効果等を調査したものではありません。

また、家畜等では、牛、馬、ヤギ、羊、ダチョウ等に飼料として与えている実績があります。


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